第253号
自分の名前で検索したことがある?
私は自分の名前で検索すると、亡くなった歌人に行き着く。
自分にヒットすることはない・・・そんなモノよね、庶民って。
今日は学び多い一日でした。
学びって自身の姿勢に関わること。
例えば講演を聞きにいく。テーマに沿った話に「なるほど」、と思う。払った金額に見合う情報を得た、と判断する。でも、他の目的意識も持って臨むと・・・わかりやすい講演だったら、どんな風に講演していたか、って事にも感心が集まる。
252号でも書いたけど、私は貪欲で、支払ったらそれに見合うもの、又はそれ以上を確保したい。そんな感性はどんな風に身につくんだろう。言わなくても分かる人、言って分かる人、言っても分からない人・・・さまざま。
折角情報があるのにアンテナを広げずにいるのがもったいない。情報を得て、いらなければ捨てればいい。でも、情報がないのに不用という。情報があるのに気付かない。
もっと貪欲になっていいんじゃないのかな、と思う。知らない怖さをもっと感じて欲しい。
「きけ、わだつみのこえ」という学徒出陣戦没者の記録がある。この中に「読むものが欲しい。メンソレータムの効能書きを何回も読み返す」というのがある。読むものに飢えていて、効能書きさえ愛おしいと感じる。
今。情報氾濫の時代。読むものはいくらでもある。氾濫していることに慣れてしまっている。読めるものがあって有難い、という感性は今や求めるほうが難しいのか。
あって当たり前、という風景に慣れてしまっている。でも、はじめは何もなかったのにね。
こんなことを議論していました。こんな議論が出来る場があってよかった、と思う一日でした。
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